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高峰秀子の出演映画高峰秀子の著書/松山善三監督作品
ID 巻数 No 項目タイトル 人名 掲載頁 備 考
652 5 8 日本橋横山町 高峰秀子
松山善三夫人)
62 高峰、ピッコロ・モンド=小さな世界(小物雑貨の店)オープン
先生の買物と家庭での悪戯、家族におお受けそんな時代があった

(アサヒグラフ昭和44年8月8日・22日・29日掲載)
650 7 32 愚問形式 高峰秀子(女優) 233 5年9ケ月のクラシック番組-高峰秀子との共演
'有吉佐和子恍惚の人テレヴィジョンの総痴呆化
(アサヒグラフ昭和48年1月5日掲載)
651 12 38 ビーヴァー・スープ 高峰秀子(女優) 258 アメリカ旅行、峻厳な愛読者高峰秀子ノルウェイでの馴鹿(トナカイ)の壺煮とビーヴァーのスープについて
(アサヒグラフ昭和54年10月19日掲載)
649 13 37 +14 高峰秀子 230 越路吹雪の死と人の寿命について團夫妻と同年、他に高峰秀子京マチ子乙羽信子久慈あさみ淡島千景
(アサヒグラフ昭和56年1月2日・9日掲載)
1629 1 52 戻り駕籠 松山善三 266 松山善三と沖縄の旅沖縄の珍味についてと沖縄民謡について
(アサヒグラフ昭和40年6月18日掲載)
1630 3 48 税関 松山善三 292 海外旅行の際の持ち物についてと税関検査について、スエズトラブルによるイラクと英国のトラブル。韓国を旅した松山善三が経験した税関での話(アサヒグラフ昭和42年11月13日・10日・17日掲載)
1631 9 1 西の夏 松山善三 10 講演「日本人の感性と知性」について。正岡子規夏目漱石と松山城。広島平和音楽祭、総演出の松山善三と。グロテスクな坂本竜馬の銅像を見ないようにして桂浜の水族館へ。講演と音楽祭と観光の旅
(アサヒグラフ昭和49年8月30日、9月・6日・13日・20日掲載)
1632 16 37 犬の鼻 松山善三 199 犬を称賛する客と松山善三にバリラックスメガネを推奨される話。
(アサヒグラフ昭和59年11月23日掲載)
 高峰秀子さんが平成22年12月28日(86歳)肺がんのためお亡くなりになった。生前、松山善三、高峰秀子ご夫妻と團伊玖磨氏とは親交が深かったとお聞きしていた。ここでは、「パイプのけむり」4篇に高峰秀子さん、4編に松山善三さんとの交友関係の一端が記されている。

◆「日本橋横山町」
 高峰が出演した、「無法松の一生」、「雁」の映画音楽を担当したことからお付き合いがあった御主人の松山善三とは、一緒に何度か旅行をされている。
 また。旅の途中の食に関する松山との対話は、すれ違う人々の会話と共に土地の美味や関わる人々との出会いがブラックユーモアーを含んでいて爽快である。
 また、高峰秀子が大手町に雑貨店を出店、亀のコレクターとして著名だった團の一端である世界の雑貨、アクセサリーに関する豊富な知識で語る高峰との会話は、落語の対話の一節を聞いているようで微笑ましく楽しい気分にしてくれる。
 江戸弁の高峰の切れの良い江戸弁の口調を彷彿とするような團の文章が生き生きとした最盛期の女優の美しさおも鮮やかに表現していて眼前にスクーリンがあるようだ。そして、圧巻は、これには何時も笑いがこみ上げるのだが、高峰と同行した日本橋横山町で購入した、表示板の愉快な利用方法で家族一同に大受けしている若かりし頃の團一家の微笑ましい日常が見えてきて読者は團の悪戯心に引き込まれていく。(第5巻 「またまたパイプのけむり」)

◆「愚問形式」
 42年01月28日にスタートした「團伊玖磨ポップス・コンサート」は、47年09月30日まで、5年9ケ月間続いた。
 この番組の内容についての愚かしさについて述べておられる。必ず、音楽演奏の合間に誰か対談者が出演して、お互いに知っている事柄を話し合う、これは、どの程度お互いに白痴圏にさせ得るかの我慢会である。現在のテレヴィジョンは、こような疑似痴呆が瀰漫していて実に不愉快だと・・・、要約するとこのような内容を高峰秀子さんとの会話で批判しておられる。・・・しばらく休んでテレヴィジョンの世界を見直し、一切「愚問形式」のない音楽番組をつくりたいが、低迷した周辺事情からすぐには実現できそうもないから静かな書斎で仕事をし時節が来るまで待とうと結んでおられる。(第7巻「まだまだ パイプのけむり」)

◆「ビーヴァー・スープ」
 多忙な日々、世界の隅々を旅している途中で文章を書いていて、團が高峰との会話を回顧している・・・・・・ずっと前に、同じこの「パイプのけむり」の中で、忙しい日が続く中で、珍しくほっとした時間を持てたので、中庭の春を見ている、と書いたら、峻厳な愛読者である女優、高峰秀子さんからすぐさま電話が掛かって釆て、良い加減な事を書くもんじゃ無いよ、ほっとして春を見ているなら、文章を書いている訳が無いじや無いか、文章を書く時は、貴方の事だから全神経を集中して書いている筈で、はっとなんかしているものか、と言われて、参った、参ったと思った事がある。・・・・・・
 團は、文章を書くことの苦しさを時々私に漏らした。「早崎さん、音楽を考えるときは、どんな種類のテーマであろうと何時も頭の中でマグマの唸りのように絶え間なく鳴り続けているからすぐ五線譜に書き写すことが出来るが文章の場合そうはいかないのだよ。
 文章を書こうとするときには頭の中には何もなくテーマを考え、参考資料を東京中からかき集め解らないことは専門家に電話し、逢い、そして書き始める。
 だから、僕が執筆に集中しているときは、地震が起ころうと、風が吹こうが、絶対声をかけないで欲しい。と、度々言われた事を思い出す。
 「パイプのけむり」に記された、高峰の適切な表現は、團伊玖磨の文章を書くときの姿勢を正しく捉えていて懐かしく思い出させる。
 私がお逢いしたい一人がまた、この世から去ってしまった。好むと好まざるに関わらず人は、何時かは死ぬ、そして、記述や録音録画されていないもの以外は、闇の彼方に葬られ靄の中に消えてしまうのである。人が亡くなると、團も著書の中で、過去の出来事を回想しながら、その人となりを書き留めておられた。
 その何篇もの中でも、妹さんの死と4人の友人の死を悼む「五弁の椿」のエッセイは、團の号泣が伝わってくるような全27巻の中でも白眉であると思う。
 何でも召しあがった中であの建築家のような可愛い動物も、土地柄、スープになってしまうのかと、ちょっと可愛そうな気もするが、トナカイの方は四足動物、牛馬の肉と変わらないのだろうと想像するだけで終ってしまった。(第12巻「重ね重ね パイプのけむり」)

◆「+14」
 越路吹雪の死を伝えていたのは、1980年(昭和55)11月8日の朝刊だった。私は、4、5歳の頃、父に連れられよく東京宝塚劇場に行った、まだ、越路が入団したてでどのような役柄で出演していたかは覚えていないが、この時代、女が男の扮装をする少女歌劇は、幼少の私の眼には、学芸会のように幼稚に見えた。
 歌舞伎は、華麗だったから記憶に留まっているが、宝塚の記憶は、神戸の宝塚の温泉と東京宝塚劇場の楽屋の少女たちの騒ぎだった。
 父はよく私を宝塚の誰だったかに私を預けて客席にいたらしい、今も、その時の脂粉やドーランの匂いが蘇る。月丘夢路、小夜福子、乙羽信子、春日野八千代、天津乙女、淡島千景らが記憶にある。
 團伊玖磨夫妻の同年生まれの越路の死から、同年にはだれが居るかと話が、高峰秀子、京、乙羽信子、久慈あさみ、淡島千景、吉行淳之介、藤島宇内がリストアップされ、4年たつと60歳になるという会話の進展からから、この文章は56歳の頃のことと推定。
 話は将来展望に至り、14年たつと70歳、24年たつと80歳、話はここまでで終わるが、團夫妻は、このとき御自分たちの寿命を予知していたのではないだろうか。この話題の時期から20年後、御夫妻は、亡くなってしまった。ちなみに高峰(86歳)、乙羽(70歳)、久慈(74歳)、吉行(70歳)と亡くなっている。
(第13巻「なおかつ パイプのけむり」) 伊勢原市立伊勢原中学校校歌 藤島宇内作詞/團伊玖磨作曲