2007.07.18 (水曜日) |
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「7月17日(火)過密スケジュールの中での阿部 川崎市長と出会いだった。」と、本人が電話の向こうで話していた。 私のイメージからすれば川崎の町は工業地帯、工場地帯から排出される煙で何時もどんよりと町全体が煙っていた記憶がある。 記憶は、定かでないが昭和36年頃、川崎火力の第一次工事の為に、何回も川崎を訪れた時のことが、鮮明に思い出される。 今も、港に近く紅白の煙突の何本かが見える。あれから、46年が過ぎ薄汚れていた川崎の街も大きく変貌を遂げた。 スラムのような川崎駅前もそんなイメージを払拭すべく、ラゾーナのような多目的で多くの人々が楽しめる空間が出来て、美しくワイドなエリアに変わった。 音楽の街を自称し文化溢れる街を継承すると言うことが街の多くの人々の希望としたら、この街並みを二度と汚さないことだし、予算がないからと各種の文化的事業も一過性で終らせてほしくないのである。 勿論、官民こぞって協力しなければこれからの時代には対応できないのは、周知の事実であるが、孫子の代まで正しく継承して欲しいと多くの人々の心底にはあるのではないだろうか。 市長と演奏家の対話がご自分の知識や教養に終ることなく、芸術家達が何を考え何を思考しているかを多くの人々に伝えて欲しいのである。それでこそ、真摯に活躍する多くの芸術家たちの積上げる技が、努力が、魅力溢れるエリアを活性化し、外部からも多くの人たちが訪れ、過去の煙の街のイメージを拭い去ることが出来、人々の明日への希望が成就すると確信するのである。 それでこそ、努力した芸術家達が本当の意味で報われるのではないだろうか。 (早崎日出太) |