歴史を訪ねて  長光寺  さいたま文学館  團伊玖磨全仕事 團著作目次  クリック各頁へ 
さいたま文学館「武蔵野を詠む」2011.11.6(日曜日)
Wikipedia:正岡子規松山市立子規記念博物館子規記念博物館(OF)/子規庵(OF)/神戸文学館(OF) /著書
Wikipedia:高浜虚子小諸高浜虚子記念館(OF)/神戸市芦屋虚子記念文学館(OF)/句集「ホトトギス」雑誌「ホトトギス」 ホトトギス(杜鵑)著書
川島奇北長光寺(川島奇北の菩提寺) 注:(OF)=オフシャルサイト
 写真さいたま文学館ポスター」より                                                    【船頭の左側、祖父・早崎助治郎?】
 
 上の写真と出会ったのは、行田市須賀にある曹洞宗早雲山長光寺の大谷石の倉庫を改造し、内部を音響効果の良い多目的ホール「空華(くうげ)」として文化向上を役立てようと意図された 奇北忌の当日、このホール内の展示で「さいたま文学館」で行われている【武蔵野を詠むー平成23年10月1日〜12月4日】のポスターを見たのが始まりだった
 この日は
毎年、奇北の亡くなった9月24日(昭和22年逝去)に、この地で生涯を過した川島奇北の偉業を称えて、俳句の読み人たちが近在や遠方から集って本堂とホール「空華」を会場として句会が開催される。(長光寺は奇北の墓があり菩提寺でもある)
 この会は、先代の長光寺十七世住職福島松雄、伸悦父子が「川島奇北翁没後50年」を行田市俳句連盟と共催で第1回目を平成11年をスタートとし、本年平成23年で13回を迎えた。
 このホールの壁にJISB2版(515X728mm)の大型のポスターと川島奇北と正岡子規
高浜虚子の書や写真と一緒に貼られていた。もう1枚の解説用の白黒写真に書かれていた乗船者の名前のメモ書きだったその写真がわたくしを欣喜雀躍させた右の二人目の俳人の右肩にはっきりと「近江(おうみ)」と書かれていたのである。、
 私は、大きいポスターの隅々をを詳細に見つめた
そしてそれが、祖父である事を確信した。
 その顔は、私が生まれる前に亡くなった祖父については写真でしか出会ったことがなかった。
 舟上での祖父の表情は、20代の顔で、どこか、私の父か、息子か、孫か、自分自身か歴史を超えた血のどこか似た顔、人生のどこかで出会った懐かしさがあった。。
 そして
これは、私の祖父 助治郎(安政4年9月4日-昭和8年4月26日)家にある2枚の写真と見比べて見た。
 因みにこの時の
 何故か
そのポスターの全員がカメラを見ているわけでもなく、カメラに視線を向けているのは、高浜虚子他数人で多くは、それぞれにあらぬ方向を見つめているのだ、まだ、この時代の人々には写真は、魂を吸い取られるという迷信が横行していたのかも知れない
 
祖父のこともさることながら、この時代に揺れる船の上で撮影された情景も人物もピンボケになっていないのが不思議で、可成、技術の高いカメラマンを高濱虚子が東京から同行したのだろうと思うとそのような歴史的事実も調べてみたくなる
 同舟の歌人たちは近郊
近在だけではなく、相当、遠い距離を蒸気機関車が引く列車を乗り次いで参加しただろうから、自然派を自認する歌人が石炭の燃えかすが飛ぶのどかな田園風景に何を描いたかを想像することだけでも何故かほのぼのとした気持ちにさせられる
 文学館では、他にさいたまに関係する永井荷風など多くの文学者の著書、雑誌、書簡など歴史的にも興味深い資料が多く展示されていた。
 さいたま文学館 小林館長、大久根主幹とお話をさせて戴き、祖父早崎助治郎の歴史的な裏付け
、俳号を調査することを約して霧雨が降りだした近くの桶川駅に向かった
 (早崎日出太)
     
                     企画展「武蔵野を詠む」         川島奇北埼玉俳壇の草分     櫻草(昭和11年8月号