池波正太郎を歩く 亀戸天神社 亀戸天満宮 根津神社 菅原道真 東京スカイツリー 早崎日出太 團伊玖磨全仕事
 池波正太郎全仕事 團伊玖磨全仕事 團著作目次 スカイツリーのホーム頁は大きい 修正:2013/09/08 (日) 12:00:56
第3回波が辿った道を歩く「亀戸天神社・根津神社」2012.04.29(日曜日)快晴
  巡回コース:JR東京駅→亀戸駅→亀戸天神→バス上野駅→根津神社
池波正太郎がたどった江戸を歩く第1回‐浅草・池波正太郎記念文庫)/第2回谷中から上野へ第3回亀戸天神社・根津神社
  Wikipedia:亀戸天満宮【天神社】/菅原道真北野天満宮大宰府大宰府天満宮全国の天満宮宇多天皇平安時代根津神社菅原氏
  Wikipedia:天神信仰鷽替え
  公式サイト:亀戸天満宮【天神社】ふじ北野天満宮つつじさつき
  Wikipedia:大和武尊根津神社根津美術館根津教会日本書紀古事記團伊玖磨オペラ『建・TAKERU』【團伊玖磨】/團伊玖磨全仕事
  公式サイト:根津神社つつじさつき根津美術館
 日出太の小窓 江戸銘菓【船橋屋・葛餅】の屋根上に【左下写真】
 小説エッセイ・戯曲・対談等剣客商売剣客商売CD文庫
 鬼平犯科帳鬼平犯科帳全項目タイトル【あいうえお順】 鬼平料理帳鬼平犯科帳CD文庫鬼平犯科帳」お愉しみ読本
 仕掛人 藤枝梅安梅安料理ごのみ/  光文社版「鬼平を歩く」   
 クリック各頁
寺の詳細データは猫のあしあと」及びWikipedia
参照
 隅田川に架かる橋浅草名所七福神隅田川深川日本橋谷中下谷浅草寺(Wikipedia)谷中の寺旧蹟・記念館等/
七福神谷中/浅草名所隅田川下谷下町八福神小石川深川亀戸柴又/(以上七福神、下町除く)
 京都に住む俳人、高校時代、井伊直弼の居城がある彦根で机を並べていた近藤君から「東北に旅行するから、途中、東京観光をしたい」と、メールが来たのは、関東地方のどこもかしこもピンク色の桜が咲いていた。
 初夏の兆しが日々三寒四温の繰り返しをしながら初夏に向かって来た。昨年の今頃、東北地震で娘が被災し大変だった思いがある。
 青森地方の桜も、彼が到着する明後日には、春爛漫を演出しているに違いない。
 彼の東京観光の予定は、亀戸天満宮の藤、根津神社のつつじ。神宮外苑、お台場、渋谷、銀座などと、毎日TVで喧伝されている東京を回ろうという。
 2日間の日程では無理なようにも思えたが、電車、地下鉄、都営バスを利用すれば希望する地を回れる事をもう一方の友人水谷君に教えられた.
 東京駅「鈴の広場」は、老若男女の旅人で混雑、すでに、指定の10時30分には、水谷君はいすに座っていた。
 京都からの新幹線は定刻に到着、何年振りかの出逢いは老いを確かる会話をしながら、秋葉原で総武線に乗りかえ亀戸で下車した。
、歩道には、夜間藤を見る観客を迎えるために露天商の木台が設置され、商品の展示や調理器具や材料が準備されている。
 明治通りを北進し亀戸4丁目の交差点を左折し400メートル程進むと右側に亀戸天神社の赤い鳥居が見える。
「亀戸 という地名は亀ケ井という井戸があったからとか、この地域が島でその島が亀の形をしていたからと言い伝えられているが、ここいらの地域は、ゼロ地帯、一昔前までは雨量が多いとマンホールから水が逆流し、道路や建物が冠水した。【亀戸駅(明治37年ー1904年)総武鉄道開業】
 毎年、1月25日、初天神の当日、縁起の良い神様、学問の神様、菅原道真にあやかろうと合格祈願の若者で埋まる。
 もちろん就職祈願、受験祈願、免許取得祈願等々、さまざまな祈願が怒涛のように押し寄せる訳である。
 祈願は神社で販売する絵馬に自分の願いを描くのだが、絵馬への祈願内容は、その時代の背景や世相、流行などが鮮明に見える。

 1月鷽替え神事、2月節分追儺祭、梅まつり、4月藤まつり(学業講祭、
4月21日~5月6日6月例大祭、10月菊祭りとこの他にも毎月行事が行われる。
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年一度の例大祭には、江東区の小林絃容さんが率いる大正琴「絃容会」の演奏会に何度か参加した。
 能楽堂での絃容会の演奏は、クラシックから演歌、民謡、童謡、叙情歌、ポップス、ジャズ、外国民謡、映画、ダンスなと広いレパートリーと高度な演奏スタイル、世界各国への文化大使としての活躍は、訪問する国々や地元だけではなく、多くの参詣者にも絶賛を浴びている。
 この大祭には、お神輿が町内を練り歩き夜ともなれば、町中に灯される提灯からの柔らかな光がくっきりと赤い梅花と亀戸天満宮の文字を染め江戸情緒を醸し出す。
 江戸時代、下町として栄えた町並みも、昭和20310日の東京大空襲の際(死者約10万人、焼失家屋約23万戸)B29の絨毯爆撃により街並が灰塵と化し、ほとんどの文化財や建築物も、墓石、板碑、仏像なども焼夷弾の灼熱に焼損した。東京一面が瓦礫に覆われた悪夢を昨日のように思い出す。
 藤は時期が早かった所為か陽当たりの良い場所だけに咲いていて5月末頃にならないと満開にはならないだろうと参拝客がはなしていた。話題の東京スカイツリーは、亀戸天神社のどの位置に立ってもくっきりと青空をバックに直立していて、ここかしこでこの巨大な塔と藤棚をバックに記念撮影をしている参拝の人たちが多く見られた。
 我々は、2時間ほどの境内散策のあと、バスで根津神社に向った。(早崎日出太)
所在:東京都江東区亀戸3-6-1/祭神:天満祭神=菅原道真・天菩日命=菅原家の祖神/
◆JR亀戸駅からの人並みが ◆太鼓橋から本堂を望む ◆亀戸天満宮本堂 ◆に
◆少しだけ陽当たりの藤棚 ◆池中の岩上に甲羅干しの大小の亀 少しだけ時期尚早の重ねの色目【葵】
◆京都から来た友人を囲んで【近藤・水谷と】 ◆藤棚超えのタワーにもう少し待って ◆太鼓橋を遠望すると参拝の人群れが
◆最盛期には藤色一色になる ◆藤棚の上にニョッキリと ◆まだ未熟な花が欄干越しに ◆本堂の頭上にスカイツリーが


◆くずもちの船橋屋の屋根の上にもニョッキリ
◆神社近辺の歩路には ◆振り返ると大祭の立看板と並んで 駅から両側に夜店が並ぶ
巨大な木造の鷽2羽が社務所内に ◆神事スタート梅印の太鼓が打ち鳴らされる ◆祭礼のお御興に梅花の名板が
◆学業の神に若い人たちの祈りが ◆祭礼には能楽堂で各種の音楽イヴェントも ◆祭礼の夜には太鼓橋にあかりが ◆おまつりの提灯です
◆鳥居をくぐる人々は晴れやかに ◆勇壮な獅子舞、笛と小太鼓の交響が聴衆を魅了する。しなやかな獅子の中からは美人が舞人。観客はやんやの喝采。
◆巨木は何時の時代のものだろうか ◆池波さんもよく散策された根津神社は、極彩色のつつじの協奏曲 快晴の空にスカイツリーも
◆色彩豊かなつつじが祭を盛り上げる ◆本堂は、目も鮮やかな新緑に覆われて ◆鮮やかな周辺の片隅に羊歯がひっそり ◆大きなつつじ岡の上からから見る山門と群集
◆重要文化財の青銅の灯籠藤堂和泉守高敏(1693-1726 )奉納】/藤堂氏 ◆貴重な根津教会の全望
根津神社の途中の路に根津教会がひっそりとある。薄い水色の羽目板に青銅製の円形の丸窓、ガラスの他に建物の側面には金属のレリーフが張り付けられた窓もある。【1910年建立】
◆この教会で毎年アマチュアやプロの撮影した文京区を中心に記録映画の映写会が催される。NPO法人「映画保存協会」【フィ ルムに残る文京区の風物・人】
上の見事な写真は「根津つつじが岡」の入場チケットだ。
浄財は、文化財指定の建物の修理維持に利用するとある・貴重な文化財の管理も大変に費用の掛かるものだが、衆人の眼を愉しませる初夏のつつじの植育も並大抵の努力の積み上がなければ一朝一夕には、こうはならないだろう。見る側も大切に庭園を愛で、勝手に花を折ったり当たりをよごさないでほしい。眼福は、ここを訪問する人の大切な財産、華麗な花たちは、きっと見ています。
【下の文章はチケット裏」
 サイレントピアニスト柳下美恵さんの活動の一部である「NPO法人映画保存協会」が所在する根津には、度々訪れ寺院や墓地の多い江戸歴史の面影が気にいっている。
 いつも、地下鉄を利用しないで北浦和からJR日暮里駅で下りて、だんだん坂から谷中銀座を通り過ぎ、不忍通りに出て右におれて根津に出る。
 根津の街並は、根津神社の門前町として甲府徳川家の屋敷跡に発展したが、近接地が徳川氏の屋敷地となり、寛文三年(1663)、のちの六代将軍家宣となる網豊がここで璧する。
ために、将軍家の産土神(守り神)ということになり、閣老が監督する天下普請によって大規模な社殿が屋敷地(現在地)に建立され、宝永3年(1706)遷宮。
 根津の街は、根津神社の門前町として甲寒川家屋敷跡に開かれた。神社が移って来て、根津と呼ばれるのだが、地名の由来は宗権現説や、忍が岡・向ケ岡の根にあって舟の泊まる所の意とする説などがある。
 根津権現の旧地には元根津の呼称が残っているという。
 やがて岡場所となり、江戸指折りの盛り場化する。天保の改革(1841)で姿を消すが、明治2年に復活。同12年、遊女吾74人に達した。
 然るに明治12年、その付近なる本富士町に東京大学の開設せらるるあり、学園の風紀面白からざる等の理由に依りて遊郭移転の議が起り」(『本郷区史』)、明治20年、洲崎へ移転する。
 根津はこの地の総称だったが、昭和四十年の住居表示で町名となった。その前は、明治初年からの根津八重垣町(江戸期の根津門前町)・根津官奈(これは江戸期から)・根津片町・根津藍染町・根津清水町・根津須賀町(江戸期には根津社地門前)・根津西須賀町の根津七ケ町があった。
まず、根津神社(根津権現)へ足を運ぶ。この街の生みの親であり、加えて、華麗な権現造りの社殿は国の重要文化財である。表現は悪いが、幸運な神社といえる。千駄木村にあった小さな社だった。