たばこと切手の旅

このページはTASCマンスリーに「切手の旅」として連載していたものを再録したものです。
世界の様々な国で発行された切手の中で,たばこに関係したものをシリーズで紹介して行きます。普段は何気なく見過ごされている一枚の小さな紙片の中にも,思いがけない発見があるのではないでしょうか。
<連載>
第1回 たばこの発見 第6回 喜望峰の発見
第2回 コロンブスの夢 第7回 インド航路の発見
第3回 たばこの語源 第8回 ポルトガルとスペインとによる世界分割
第4回 失われた『コロンブス航海誌』 第9回 アメリカの名の由来
第5回 大航海時代
第1 たばこの発見
たばこおよびたばこの喫煙に初めて出会ったヨーロッパ人は,1492年,コロンブス船隊に属して大西洋を渡ったスペイン・アヤモンテ出身のヘレス(RodrigodeJerez)とトレス(LuisdeTorres)といわれています※。
キューバ島(一説ではイスパニョーラ島)に上陸したコロンブスは,11月2日,へレスにトレスと2人のインディアンをつけて,黄金の有無を調べるよう島の奥に送り出しました。博学のユダヤ人トレスは,ヘブライ語,カルディア語,アラビア語に堪能な通訳として,また,インディアンらは島の王を捜すためです。

島には多くの集落があり,彼らは島民に親切に迎えられました。そして,黄金は発見できなかったのですが,原始的な葉巻を喫煙するのを見たというわけです。その様子を描いた切手が,1944年にキューバで,1987年にアフリカのシエラレオネで発行されました。
キューバの切手(写真1)は「アメリカ新大陸発見450周年記念」の7枚セットのうちの1枚で,10センターボ(Cts=Centabos,100Cts=1Peso)。下に,「XerezyTorresdescubrenelTabaco(セレスとトレスがたばこを発見した)」とあります。このセレスとはヘレスのことでしょう。
7枚セットのうちの1枚では,国名の“CUBA”が“CVBA”となっています。先住民の若いインディアンが木にもたれて座り,葉巻を楽しんでおります。足元にはタバコがあり,それを見つめるヘレスとトレスがいます。

シエラレオネの切手(写真2)の方は,「1992年のアメリカ新大陸発見500周年記念」4枚セットの1枚で,額面50レオネ(Le=Leone)。中央にはタバコをはさんでインディアンとヘレス(あるいはトレス)が描かれ「DiscoveryofTobacco(タバコの発見)」と記してあり,左にタバコの葉の束,右に通訳のトレス,下にコロンブスの名があります。

なお,先住民が古くから利用していたたばこを“発見”したというのには,西洋史中心のヨーロッパ人のおごりが感じられます。アメリカ大陸を見て“新大陸の発見”と呼び,アフリカ大陸を“暗黒大陸”というのも,同じ発想でしょう。それはともかく,これがタバコとたばこを世界に伝播するきっかけとなったことは,否めない事実です。
※『アレンツ文庫世界たばこ文献総覧』第1巻,256頁の注3。

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第2回 コロンブスの夢
コロンブスの航海は,マルコ・ポーロの『東方見聞録』を読んだ刺激によるもので,“黄金のジパング(日本)”に憧れたものといわれています。西に進めば“インド”に至るというトスカネリの意見をコロンブスは信じました。そして,スペイン女王イサベラ一世( 写真1)の支援により,航海の実施に至ったことなどは,よく知られているところです。
写真1は,1992にイタリアで発行された「コロンブスの航海500周年記念」6枚小型シート,16枚の切手のうち2,000リラの「IsaberaeColumbus(イサベラとコロンブス)」で,同じ年に同じ図案のシリーズ切手スペインとポルトガルと米国とで同時に発行されました。
1492年,コロンブス一行は“新大陸”に到達しました。その時の様子を描いた数多い切手のうち,ここでは2枚をご紹介します。

ひとつ(写真2)は,1893年に米国で発行された「コロンブスの航海400周年記念」16枚セットの1枚,2セント切手で,「LandingofColumbus(コロンブスの上陸)」とあります。実は,この16枚セットは, 写真1の16枚セットの原図案なのです。
もうひとつ(写真3)は,1992年発行の同「500周年記念」2枚セットの1枚で,フランス語で「1492年10月12日,コロンブス,バハマのグアハニ島に上陸」とあり,アフリカのベニンの1,000CFAフラン切手。このアラワク族がコロンブスを出迎えている有名な絵は,フランドルの銅版画家で出版人でもあったド・ブリが16世紀に描いたものです。こうして,コロンブスはたぱこを贈られることになるのです※。

なお,本文では,植物は「タバコ」とし,加工したものは「たばこ」とします。植物の「イネ」を「こめ」として食べるのと同じです。
※『アレンツ文庫世界たばこ文献総覧』第1巻21頁。

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第3回 たばこの語源
「たばこ」という名の由来については,はっきり分かっていません。西インド諸島におけるカリブ族のY字型の喫煙具に由来するという「喫煙具名称説」,西インド諸島の南端にあってタバコが群生していた“タバゴ島”,あるいは,ユカタン半島にある“タバスコ”の町辺りにタバコが繁茂していたことに由来するという「地名転訛説」,先住民がもともとこの植物をこう呼んでいたことに由来するという「野生植物名称説」などがあります。その中では,「喫煙具名称説」が一番妥当であろうと考えられていますが,それは,たばこに関する最も古い文献のひとつ,1535年にスペインで刊行されたオビエドの『(西)インド通誌』(La historia general de las Indias)の中の記載によります※。


このY字型をした二股のチューブを,先住民たちは,“トバゴ(tobago)”または“タバゴ(tabaco)”と呼んでいたそうです。そして,その二股の先を鼻に入れて,煙を吸ったり,たばこの粉を吸い込んだりしていたといいます。 写真1は,1989年にジャマイカで発行された「(1992年の)アメリカ発見500周年記念」4枚セットの1枚で,70ジャマイカ・セント。左に「Columbus Quincentenary 1989-1994(コロンブス五百年祭)」,右に「Arawak Indian smoking tobacco(たばこを喫煙するアラワク・インディアン)」,そして,下に「XAYAMACA“The Fairest Isle”(ザイマカ“最も美しい島”)」とあります。

この“ザイマカ”とはアラワク語で“木と水の大地”を意味し,現在の国名はこれに由来しているそうです。
写真2は,同じ切手の二股のチューブ部分を拡大したものですが,Y字型であることと,煙が出ている様子などがよく分かることと思います。

※「アレンツ文庫世界たばこ文献総覧」第1巻,208頁および第4巻543頁以下参照。

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第4回 失われた『コロンブス航海誌』
コロンブス※1が,同じイタリア人マルコ・ポーロ※2(Marco Polo,1254〜1324)の『東方見聞録』によって刺激されて航海に出たことは,第2回で書きましたが,その本は当初「嘘,でたらめ」と非難されたといいます。
写真-1は,1954年に「マルコ・ポーロ生誕 700周年記念」として,イタリアで発行された2枚セットの1枚で,60リラ。ポーロの肖像の後に旅行のルートを示す地図があり,西側には獅子(Lion of St. Mark)の像が,東側には中国の竜が描かれ,ラテン語で "PAX TIBI MARCO"(マルコに平和を)と,中国語で「毆亞聯璧」(欧州とアジアの玉をつなぐ)と聯が掲げてあります。
コロンブスは,4回の大航海のうち,第3回航海の1500年,スペイン本国から送られた査察官により,不正行為があったとしてスペインに送還されます。

写真2は,1992年に「アメリカ発見 500周年記念」と題して,ガイアナで発行された12枚セットの1枚で,12.80ガイアナ・ドル。第3回航海(1498〜1500)のルートが示され「イスパニオーラ島で逮捕されたコロンブス」とあって,鎖につながれた手が描かれています。帰国後に疑いが晴れ,第4回の航海を許されたものの,もとの栄職には戻されず,失意のうちに亡くなったといいます。
さて,『コロンブス航海誌』の原本は失われ,ラス・カサス(Bartolome de Las Casas,1474〜1566)神父※3が編纂した写本だけが残っています。そのお陰で,タバコが発見されたいきさつがよく分かるわけです。
写真3は,1944年,キューバで発行された「アメリカ発見 450周年記念」7枚セットの1枚,3センターボ切手で,神父は「インディオの守護者」とあります。その他,1966年に,メキシコで発行された「“西インド諸島の使徒”ラス・カサス没後 400周年記念」の20センターボ切手があります。ラス・カサス神父は,植民地におけるスペイン人の残虐を告発したことで知られています。

※1『アレンツ文庫世界たばこ文献総覧』第1巻254頁
※2同上254頁
※3同上206頁,254頁

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第5回 大航海時代
写真は,1992年に「コロンブスからドレイクに至る地理上の発見の時代」と題して発行されたパラオ共和国の1枚29セント切手20枚のシートです。

6人の大航海者,上の左からコロンブス※1(1492〜93),ドレイク※2(1577〜80),マゼラン(1519〜21),下は左からアメリゴ・ヴェスプッチ※3(1501〜02),ピサロ(1531〜33),バルボア(1513)の肖像と,エルカーノ(1521〜22)を含めた7つの航路が示されています。(( )内は航海年)。アジア側には,ビンロウ樹・丁字・黒コショウ,新大陸側にはトウモロコシ・パイナップル・ジャガイモが描かれ,インカの財宝もあります。
これらの大航海の結果,新大陸原産のトウモロコシやジャガイモ,そしてタバコなどが,旧大陸でも栽培されるようになり,世界はひとつになりました。
※1『アレンツ文庫世界たばこ文献総覧』第1巻17頁,254頁
※2同上第1巻395頁図版,第2巻367頁
※3同上第1巻191頁,追録第1巻3頁

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第6回 喜望峰の発見
1992年にウガンダで「アメリカ発見 500周年記念」の切手が発行されました。「1486年の世界図」(写真1)は,その8枚セットの中の1枚で,額面50ウガンダ・シリングです。
当時の世界は,この切手にあるように,プトレマイオス(2世紀のギリシア人)の世界地図が最も権威をもっていました。インド洋は大きな内海になっています。

さて,ポルトガルは,1415年に対岸のアフリカにあるセウタの町を攻撃して以降,西アフリカ航路を開拓しました。その推進者こそ,航海王・エンリケ王子(Henrique o Navegador, 1394-1460)。ポルトガルの海外進出の始まりです。
「エンリケ航海王没後 500周年記念」の切手は,1960年にポルトガルで発行されました(写真2)。6枚セットのうちの1枚(額面3.50エスクード)に,王子の肖像が描かれています。
当時,“プレステ・ジョアン”というキリスト教王が,世界のどこかにいると信じられていました。
そして,1486年,ポルトガル国王・ジョアン二世は,アフリカ奥地にキリスト教団が存在するとの報告を受けました。心をはずませた国王は,陸路と海路の探検隊をアフリカに派遣しました。
バルトロメウ・ディアス(Bartolomeu Dias,1450?-1500)が海路の指揮官を命じられて,1487年8月にリスボンを出帆しました。ディアスはアフリカ西岸を探検中,嵐で漂流した後,1488年1月,アフリカ南端の岬を発見し,この岬は国王によって“喜望峰”と命名されました。これが後に,たばこ伝来の道につながります。
写真3は,1944年にポルトガルで発行された「15,16世紀のポルトガル人航海者たち」,8枚セットの1枚で,ディアスの肖像を描いた35センターヴォ切手です。

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第7回 インド航路の発見
バルトロメウ・ディアス船長の喜望峰発見に次いで,ポルトガルはヴァスコ・ダ・ガマ(VascodaGama,1469?〜1524)によって,西洋から東廻りで東洋に至る道,すなわち,インド航路を発見します※。
1969年にポルトガルで発行された「ヴァスコ・ダ・ガマ生誕500周年記念」の切手は4枚セットの一枚ですが,裏にポルトガル語,フランス語,英語で「リスボンの地理学会に掛かっているヴァスコ・ダ・ガマの肖像にヒンドゥーの要素を混ぜた作品」とかかれています(額面1エスクード)。
 

ディアスやコロンブスの成功に刺激されて,ポルトガル王室はインド洋香料貿易へ進出するため,喜望峰をまわってアジアへの到達を急ぎます。ジョアン二世を継いだマヌエル王の命を受けたガマは,1497年7月,リスボンを出帆しました。
写真は1998年にポルトガルで発行された「インド航路発見500周年記念」,4枚セットの1枚で,「D.マヌエル一世の造船所訪問」を描いた47エスクード切手です。
ガマは苦労の末,1498年5月,インドのカレクー(カリカット)に到着し,そこの領主(ザモリン)に会います。
1998年に同じくポルトガルで発行された「インド航路発見500周年記念」は「ヴァスコ・ダ・ガマとカレクーのザモリンの出会い」を描いた140エスクード切手です。
ところがザモリンは,寝椅子に横たわったまま,ビンロウをキンマの葉に包んでしゃぶり,それを左手に持つ金のコップに吐き出しながら,贈り物が乏しいガマを相手にしません。この屈辱の航海後,ポルトガル人は強力な武装船団を派遣することになりますが,このガマの成功にマヌエル王は狂喜します。ポルトガルの栄光の始まりです。しかし,たばこの登場には,もう少し間がありました。

※「アレンツ文庫世界たばこ文献総覧」第1巻,7頁に,「1500年以前に東洋を訪れた人たちの記録には,たばこについてどこでも何も言っていない」と,ガマの名も挙げられています。

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第8回 ポルトガルとスペインとによる世界分割
コロンブスが第1回目の航海から帰国した1493年,スペインのイザベラ女王は,ローマ教皇に使いを送ってその成果を報告し,アフリカ最西端ベルデ諸島の西100レグア(1レグアは約5,555m)のところを通る経線の西にあるすべての土地の権利を認められました。

ポルトガルはこれに抗議し,翌1494年,教皇の仲裁のもと,境界線をさらに270レグア西に移すことで両国の調印に漕ぎつけました。トルデシリャス条約と呼ばれるこの条約によって,西経約46度を境に,西で発見される土地はスペインに,東はポルトガルに権利が与えられることとなります。こうしてポルトガルは,ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路発見以降,香料帝国となり,世界各地に植民地をつくります。思えば,実に勝手な話です。
写真1は,1993年にカボ・ベルデ共和国(アフリカ西端の島国,もとポルトガル領)で発行された「トルデシリャス条約500周年記念」4枚セットの2枚,額面は各37エスクードで,左から,スペインのフェルナンド王とイザベラ女王,アレキサンダー六世教皇,ジュリアス二世教皇,ポルトガルのジョアン二世国王で,中央に大勅書が印刷されています。

写真2は,1969年に「航海者ヴァスコ・ダ・ガマ(1469〜1524)」を記念して,ポルトガル領モザンビークで発行された「ガマの航路」を示す1.00エスクード切手。同じくポルトガル領のカボ・ベルデ,ギニア,サン・トメ・プリンシペ,アンゴラ,チモール,マカオの6カ国と一緒に各1枚ずつ同時発行された7枚セットの1枚です。
写真3は,マダガスカルがフランスから独立した1960年に発行した,蝶や農作物など10枚セット中の1枚,「胡椒(コショウ)」の8フラン切手です。

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第9回 アメリカの名の由来
イタリア人航海者アメリゴ・ヴェスプッチ(AmerigoVespucci,1451/4〜1512)は,1499年にスペインの探検隊に加わってベネズエラ海岸を踏査しました。

また,1501年にはカプラルとともに,1503年にはコエリョとともに,ブラジル海岸を探検して名声をあげました。そして,1505年には,スペインでコロンブスに会ったといいます。
写真1は,1998年にベネズエラで発行された「コロンブスの大陸到着500周年とヴェスプッチの探検500周年」を記念する額面400ボリバルの切手です。当時の船と両者の顔が描かれており,同じ図案のものが,イタリアで同時発行されています。
さて,コロンブスは自分の発見した陸地を死ぬまで”インド”と考えていました。一方,ヴェスプッチは,自分が探検した陸地を”新たな大陸”だと主張し,その地は後にサンディエの地理学者ワルトゼーミューラーによりヴェスプッチの名にちなんで”アメリカ”と呼ばれるようになりました。

写真2は,1954年にイタリアで発行さrてた「探検家アメリゴ・ヴェスプッチ生誕500周年記念」,同図案の2枚セットの1枚で,額面60リラの切手です。後ろの地図にAMERICAとあります。
写真3は,1991年にハンガリーで発行された「初期の探検家たちとアメリカ大陸発見500周年記念」,5枚セットの1枚,額面12フォリントの切手で,ヴェスプッチの肖像と船と南米大陸北東部の地図が描かれています。
ところで,アメリカにおける噛みたばこについて最初に報告したのはヴェスプッチで,1499年,ベネズエラ沖のマルガリータ島で,先住民たちが乾いたヒョウタンに別々に入れた,薬草と白い粉を口の中で混ぜ合わせて,噛んでいるのを見ました※。この習慣は,火災の危険がないことから,間もなくヨーロッパ人の船乗りの間に広がったといいます。
※『アレンツ文庫世界たばこ文献総覧』第1巻192頁および追録第1巻3頁以下。

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